張碓神社・札樽国道開通記念碑張碓神社

旅ラン

平成29年10月21日(土) 12時出発~(3時間23分) (約26km) 宮の沢駅~張碓集落~朝里温泉

ランニングサークルの行事「宮の沢駅から朝里まで走って、温泉に入り、無料バスで札幌に帰ってくる」イベントに参加。
 絶好の快晴でランニング日和。昨日は、お酒を控えめだったので体調は良い。銭函のラルズまでは皆と一緒に走り休憩。そこからは皆と別れて少し早く出発。今日の目的地は張碓の集落に降りて少し散策することである。
 しばらく走ると張碓稲荷神社に到着。ネットで調べると、元禄年間の創立というから古い。

【連載はじめ】
元禄3年(1690)創立。明治2年再建。明治8年村社に列する。明治30年代の明細帳には「社殿間口三間奥行二間三尺この坪数六坪五合、境内百坪、信徒百三人」とある。明治の末に3人の篤志家より5町歩程の山林の寄付を受け基本財産とし、昭和10年にはトド松3500本の苗を植え管理する。昭和11年10月現在地に移転遷座する。昭和23年農地法により2町歩程の山林が政府に買収された。昭和28年宗教法人となる。昭和56年6月社殿を改修し、社務所を改築する。平成2年創立三百年式年大祭を執行する。平成12社殿改築、同年12月遷座祭を執行する。旧社殿と同じ様式ながら2坪増築し屋根を銅版にする。同時に御手洗いも改築する。
【転載終了】

 次に、ペリーゴールのところの道路から右折して、張碓集落に降りる。結構家があり、住宅街を海のほうに向かうと、森のところに石碑があった。「青鳩や礁つづきに小樽港」。ネットによると昔はJR張碓駅があり、海岸線に行けたそうだが、今は行けない。
 海岸線はあきらめて、次は張碓の街の中にある三社神社に向かう。

 その神社は、国道5号線沿いの森の中にひっそりと建っていた。三社とあるように、社が三つ建っていて、真ん中は波切不動尊となっていて、その横に剣が祀られている石碑もある。ここも歴史がありそうだ。

http://hikyou.sakura.ne.jp/v2/2007/06/post_219.html へのリンク

 秘境100選のページによると、波切(なみきり、浪切)不動尊は高野山真言宗から来ている。空海(弘法大師)が留学先の唐から帰国時に船が難破しかかってとき、霊木に「不動明王」を刻んで祈念すると、不動明王が火炎を発しながら右手に利剣を持って波を切り裂いき、船を導いたと言い伝えられている。境内にはこの利剣が刻まれた石碑があり、奉納年として明治27年(1894年)と刻まれているので、石碑だけからも百年以上前の神社であるそうだ。

 張碓集落から、国道5号線に戻り、小樽方面に向かって走り、峠・トンネルを越えて、朝里に近づくと、「札樽国道開通記念碑」に到着。ここの石碑にも江戸時代からの道の歴史が記されている。

【転載はじめ】
”姿うるわし手稲の山の 影せまり来る張碓峠 君の手の熱き言葉に ああ赤い小樽の灯
が見える”と唄われたこの地は石倉山(五〇一メートル)を頂きに渓谷と滝を形成し断崖
絶壁のまま日本海に没している ここは 小樽・札幌間の最大の難所であり安政四年(一八五七)小樽場所請負人恵比須屋半兵衛が自費をもって丘上に新道を開削した
 明治五年から六年にかけ開拓使は札幌本庁と小樽を結ぶため 銭函より海岸沿いに小樽市街に達する道路改修に着手 明治十二年手宮・札幌間を結ぶ鉄道敷設を急ぐためにこの道路が利用され これが東京・大阪に次ぐ日本で三番目の鉄道開通(十三年)となる
 その後 明治三十八年になって小樽市潮見台から山背を迂回し毛無山の鞍部を越えて銭函に達する通称「軍事道路」が開削された大正九年に この道路は国道に編入された
が 急勾配かつ連続する急カーブのため 普通馬車の通行にも不自由な状態で利用者も少なく廃道に近い状態であった
 そのため政府は 昭和六年から九年にかけて小樽・銭函間の改修工事を進め 昭和八年には小樽・札幌間が全線開通する昭和二十六年に北海道開発局が設置され昭和三十年には砂利道から舗装道路となるこの碑は昭和九年 小樽・札幌間の工事完成を記念し張碓トンネル小樽側坑口に建立されたが その後交通量の増大に対応するため平成十年から着手した四車線拡幅事業を機に先人の苦労をしのび交通安全を祈念してこの地に移設する

 平成十二年九月吉日 北海道開発局小樽開発建設部
【転載終了】

 この道路の歴史にしばらくひたり、朝里温泉湯の花に再び走り始める。

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