愛知発祥の地・種川の氷川神社・藤倉翁頌徳碑

スキー場登り

平成25年(2013)4月13日(土) 9時頃出発
北檜山~愛知~豊田~鈴金~田代~種川(帰りは函館バス)
11.87マイル(19.1km)2時間22分(時速8.0km)種川スキー場に登る

 今日は夕方に、北檜山の地酒「よしこ」復活イベントがあるので、今週もせたな町にいることにする。美味しいお酒を飲むために、長駆ランニングにチャレンジ。北檜山市街から道道232号線を東に向かい今金町種川まで走ることにする。帰りは長万部から上三本杉に向かうバスに乗って帰ることにする。
 後志利別川の堤防を通って農道を走り愛知へ。堤防横の廃屋前に愛知発祥地の地碑を見つける。だいぶ古く、なんと書いているかわからなかった。愛知交差点から、トンケ入口を通り、今金町豊田に入る。「トンケ」の意味をネットで調べてもわからない。今度、町史などで調べてみよう。今金町では国営農地再編事業に着手するようだが、心なしか、愛知の田んぼの方が、今金町の豊田近辺のものより区画も広く、畦畔も高いような気がする。しかし、米自体の収量、品質、評価となるとまた別問題だ。
 結構あっという間に、今金町中心街や八雲への道の交差点につく。この辺に来てようやく天気が良くなってきた。カスベ・メップ岳が綺麗に見えてきた。種川に行く道が真っ直ぐで長い。玉ねぎを作って30年という農家もいる。種川にもあっという間に到着。バスまで1時間近くあったので、種川の氷川神社にお参りしたあと、種川スキー場に登って景色を眺める。氷川神社といえば、赤坂の氷川神社が有名。由来があったが、字がちっちゃくてかすれていてよく読めない。・・・埼玉県大宮市高鼻町に鎮座し・・・。と書いてある。種川集落は埼玉からの移住なのだろうか。
 そうこうしているうちにバスの時間になり、種川から北檜山にバスで帰る。

 PS:自宅近くの交差点で降りようと、バスの運転手に「降りていいですか?」と聞いたら、むっとした感じで「ここ、自由乗降区間でありませんから!!」ときっぱり言われ、逆に怒られた感じ。そんなに怒って言わなくてもと思いながら、トボトボと自宅に帰りました。お客様商売なのだから、もう少し言い方がありますよね。

【(愛知)発祥地】
 正面に次のとおり刻まれていた。「愛知開基八十周年記念之建 発祥地 町長 高根澤正男書」

【氷川神社】
 明治30年、小岩金次、黒須粂次郎、村上??の諸氏、埼玉県に出張、同県大宮氷川神社の分霊を奉受し、帰村安置し祭祀を行ったことにはじまる。(他は略)

【藤倉翁頌徳碑】
 正面に上記のとおり刻まれ、その横に「御村長太郎書」と刻まれていた。裏面はネットから拝借。「藤倉久三郎翁ハ安政元年岩手懸ニ生マレ明治二十九年渡道草茫タル利別村字稲穂ニ入リ粒々辛苦率先開拓ノ偉業ニ従ヒ此ノ間幾多ノ公職ニ就キテ至誠公ニ奉シ毫モ己ヲ不顧郷土ノ為ニ盡瘁セラル 就中種川区長トシテ大正元年以来二十五年間勤続シ繁閑晴雨ニ不抱草鞋ヲ穿チ馬ニ跨リテ各戸ヲ歴訪シ眞ニ心身ヲ抛ツテ部落ノ発展ト幸福ニ努ムル姿コソハ斉シク吾人ノ敬慕スル所ナリ 茲ニ建之永遠ニ其ノ偉徳ヲ讃ヘントス 昭和十三年九月 部落民一同」

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