平成30年(2018)7月14日(土) 春国岱~根室市内
18.6km 2時間36分
春国岱を一度も訪問していなかったので、朝8:30発の厚床行きのバスで東梅まで行き、春国岱を散策した後、根室まで走って帰ることにする。バスを降りるとき、完全に止まる前に立ち上がったら、運転手さんに「危ないですよ」と言われた。その通りなのだが、せっかちで一応体力にも自信がある自分としては、「何ともないですよ!」と言いたいのを我慢して、「ありがとうございました!」と言って降りたのだが、運転手さんは何の愛想もない。
ちょっと面白くない気持ちでまず、ネイチャーセンターに立ち寄った。春国岱の歴史が記されていた。ここは昔重要な陸路で歴史もある道だったのだ。
ネイチャーセンターをあとにして、春国岱を訪問する。再建された木道から、半島の先端まで行こうと試みたが、道が水で浸っており断念。仕方ないので、森林に延びる木道を走る。シカが出迎えてくれたが逃げようとしない。禁猟区なのをわかっているようだ。木道の先端は針葉樹の林の中である。しかし、平成18年の暴風雨で大分倒れてしまったようだ。
春国岱を後にして、国道44号線を根室市内に向かって走る。
【転載はじめ】
明治、大正の頃、重要な陸路として根室から春国岱を経て、羅臼に抜ける海岸沿いの道があり、春国岱と走古丹の間(約400m)の人馬の往来は、渡船によるものでした。明治10年代には駅逓所が設けられ、旅行者の宿泊や乗馬などの便宜が図られました。
また、第一砂丘に番屋がならび、とれた魚(ニシンが中心)はほどんど魚粕(肥料)にされたそうです。ヒグマが出たともこのころで、春国岱に当時沢山あった山ブドウを食べに渡ってきたそうです。オオカミの出没も同じころだそうです。なお、ヒグマは昭和20年に目撃されて以来記録がありません。
明治の末、第一砂丘先端の一部が高潮によって分断されたため、一度第2砂丘に渡ってから遠太(アイヌ語のトゥプト(沼の口))へ行くう回路が使われました。その際、新川に橋がかけられましたが、後に焼け落ちたということです。市内在住のあるお年寄りが伝え聞いたという話によると「昼日中に浮浪者が橋のたもとで焚火をしていてそのまま寝てしまい、焚火の火が橋に引火して焼けてしまった」のだそうです。
春国岱の杜は、「明治天皇の皇后陛下の山」として、木一本たりとも伐ることを許されなかった神聖なところで、原生保安林でも最高の格式のある山林だったそうです。しかし、戦時中に一度伐採されたことがあり、馬そりで木材を運ぶためにつけられた道の一部を現在は自然観察路として利用しています。
【転載終了】
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