江別古墳群

古墳・ストーンサークル

マラニック 江別市(高砂駅~元江別~美原北電グラウンド)
平成27年(2015)9月27日(日) 8.05km 1時間4分

 三男が札幌トレセンの試合に出場し、それを見学するため、江別の高砂駅から走って江別の北電グラウンドに行く。
 途中、ちょっと遠回りして、元江別の江別西インターへ行く道の近くの江別古墳群に行く。この古墳群は北海道に唯一存在するものだそうだ。道路を渡って隣に江別チャシもあった。

【以下、転載】
国指定遺跡「江別古墳群」
 古墳文化の終末7世紀頃、東北地方北部を中心に「群集墳」と呼ばれる古墳群が造られるようになります。この群集墳は、大和政権下にあった東北南部との接触交流により、東北北部に成立した独自の墓制と考えられます。群集墳は、9世紀まで受け継がれ、北海道にも波及しました。
 北海道の群集墳は、石狩川支流域の3か所(江別2、恵庭1)で確認されていますが、現存するのはこの江別古墳群だけで、8世紀後半から9世紀にかけて造られたと考えられています。
 江別古墳群は、昭和6年に後藤寿一によって発見され、その後、昭和55年の調査で古墳21基を確認。現在、18基が旧豊平川を見下す陸上に残っています。
 古墳は直径3~10m、環状または馬蹄形の周溝がめぐり、中央部に周溝から掘り上げた高さ約1mの盛り土で墳丘を築いています。さらに墳丘中央を掘り下げ木棺をじかに埋葬したものと思われ、蕨手刀、毛抜形刀、鉄製刀子、耳環、勾玉など本州からの搬入品を副葬しています。このことから、古墳の被葬者が当時の律令体制下にあった地域と深く関わった人々と考えられます。
 江別古墳群は、群集落の最も北に位置し、北海道に現存する唯一の古墳群として、また、当時の北海道と律令支配のおよんだ地域との交流を考える上での極めて重要な遺跡として、国の史跡に指定されています。

 平成10年11月 江別市教育委員会

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