琴似神社授産場趾

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)1月2日(火) 琴似神社授産場趾等 北海道札幌市西区琴似1条7丁目1-30

初詣のついでに、神社内の石碑を探訪した。琴似神社も古い。

【琴似屯田授産場趾】・・・石碑には「琴似屯田授産場趾」と刻まれ、その脇には「町村金五謹書」と刻まれている。裏面には「原石奉納 小亀貞三」と刻まれている。その脇の説明板には、次のとおり刻まれていた。「建碑の誌 明治八年先人が開拓警備の雄図を以って開拓使最初の屯田兵として札幌市西区琴似一二条三丁目より六丁目に二百八戸発寒に三十二戸が東北地方より移住され開墾と共に産業振興の起点としてこの地に琴似屯田授産場養蚕室が設立された 而して明治十四年聖明の天子明治天皇は北海道御巡幸に際し札幌に聖駕を駐められ九月一日御名代として北白川宮能久親王殿下を琴似屯田兵村に御差遣その実況を具にし琴似屯田授産場養蚕室御代覧の事が行はせられたこの開拓先人創業の歴史的光栄ある授産場趾地は大正四年開拓の祖神を祀る神園として現在に及んでいるのであります茲に御巡幸を拝してより百周年を記念し氏子の協賛を得て碑を建立し床り深い浄地を永代に伝承し御聖徳と拓北の偉業を敬慕すると共に子孫の栄昌を祈るものであります。昭和五十六年九月一日 琴似神社宮司 菅原 正 御巡幸百年記念事業実行委員長 坂井直徳」と刻まれている。

 琴似屯田では、養蚕も推奨されていた。神社の入口の鳥居の脇には、「玉垣改修の誌」と刻まれた石碑が建っていて、その横にかつての玉垣の一部が並べられている。札幌の碑さんによると、3基のうち、中央と左側の二基がかつての玉垣の一部だそうだ。中央のものは、正面に「奉納 故牧野清作 妻牧野モヨ」と刻まれている。一番左側のものは、正面に「昭和五年三月二十日建設 當時社掌 菅原長助 石工 石谷〇〇」と刻まれている。玉垣跡の右横には、黒い石いたの説明板があり、次のとおり刻まれていた。「玉垣改修の誌 (短歌:推測)五十道つし瑞玉垣に神ならい改めまつる〇はきにけり 昭和五十四年霜月 先人の貽(い)芳になれる瑞玉垣(みずたまがき)は年を重ねて朽ちならんとするに及び 改修せんとして委員会を設け 氏子有志の赤誠により竣工せり 茲に奉賛せる諸彦の芳名を謹刻して萬代に讃えるものである 琴似神社宮司 菅原正 玉垣改修委員長 佐藤信義 奉賛者芳名 (多数氏名) 」と刻まれている。

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