発寒神社・ストーンサークル

古墳・ストーンサークル

平成27年(2015)11月1日(日) 約10.8km 1時間34分

 昨日の手稲パラダイスヒュッテでの飲み会の酒が残っているが、かねてから行ってみたかった、発寒神社のストーンサークル跡を見学後、新琴似・麻生まで走ることに。  

 昔は、ストーンサークルがあちこちにあったのに、なぜ現在、その風習が無くなったのかと思いながら走る。以下、ネットから転載。

【発寒神社】
 安政3年(1856)、蝦夷地開発の幕命を帯て、山岡精次郎主計守以下17名この地に移住、 稲荷社を創建して祭祀を篤くし、北辺開明の基をひらく。 明治8年(1875)、北海道屯田兵の第一陣として、32戸この地に入植されるや社運愈々興り、 明治31年12月宗祖と崇められる伊勢大神宮より、豊受大神の分霊を拝賜、同32年3月神社明細帳にに記載。 同36年1月北海道石狩国札幌郡発寒村稲荷神社から、発寒神社と改称、北海道庁長官より認可される。 尚当境内地に古代遺跡(十世紀前後)の墳墓及環状列石(ストーンサークル)がある。

【ストーンサークル】石碑から転載
 史跡の復元について
 先住民族の遺物は発寒地域より数多く出ているがこの環状石垣は昭和7年11月、この地より発掘された当時の王の墳墓の跡と思われる。
 推定800~900年以前のもとである調査の記録に基づいて、大体復元したが、使用した碑石及び石垣は発掘当時のものである開道100年、天皇皇后両陛下の本道行啓を記念し、有志相謀りこれを建立せり。昭和43年戊辰9月

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