観象台跡・根室空襲碑・旧根室幼稚園跡

戦跡・古戦場

根室市内(観象台跡、根室空襲碑、旧根室幼稚園跡)

 令和元年(2019)12月21日(土) 7.6km 1時間9分
 
 寒いが絶好の好天なので、根室市内のまだ訪問していない史跡を訪問することにする。

□ 観象台跡(本町5丁目14番地)現在は「メゾン中央」
 観象台(かんしょうだい)は、現在の測候所の前身である。明治12年7月1日に、この場所につくられ、1日3回の気象観測を始めた。最初は、開拓使根室支庁民事局地理課(ちりか)に属し、明治15年2月には根室県勧業課(かんぎょうか)に属し、根室測候所と名を改めた。明治19年には周辺に人家が増えたので、現在の弥栄町の位置に移転した。

□ 根室空襲碑(現:鳴海公園)
 根室市(当時、根室町)は、1945年7月14日、15日の2日間、アメリカの海軍機動部隊による空襲を受けました。
 特に15日は、午前5時から午後4時半までの約11時間、アメリカ軍資料によると、全町にわたり延105機による空襲が行われ、500ポンド爆弾93機、ロケット弾78機、その他機銃掃射などがありました。
 これにより、午前7時ころには、市街各所より火災が発生し、夕方まで市街地の約8割の地域を延焼し続け一円焦土とかし、花咲国民学校や町立根室病院など多くの施設が焼失し、市街地の大部分が灰燼に帰しました。また、現在の北方領土に向かうため港内には多くの船舶が在港しており、浦河丸や東裕丸をはじめ、輸送船など海上においても大きな被害がありました。
 根室空襲研究会の調べによると、根室空襲による陸上・海上の被害者は355人にのぼり、確認のとれない海上における不明者39人を含めると400人に迫る筆舌につくせぬ悲惨な被害を受けました。

□ 旧根室幼稚園跡(常磐町3丁目1番地 現在は理容たなか)
 大正5年(4年説もあり)に本城寺の二代目住職、本城文雄が根室で最初の幼稚園を境内に設立した。毎年、百名以上の園児を収容し育英に力を傾け小学校へと送り出していた。同13年、根室郵便局の全焼により仮局舎として幼稚園を貸すことになり、惜しくも幼稚園の運営は中絶となった。

コメント