手稲区前田「自作農記念碑」、「前田の遺跡」説明板

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)8月3日(土) 家~桑園~道マラコース(新川通等)~新川中央公園~前田公園~下手稲通~家 24km 3時間39分

 新川を渡って手稲区に入る。今日は暑く、アイスを食べたいと思っていたら、ソフトクリームの看板が。「NALU Cofee」でソフトクリームを食べる。330円は安い。マスターはミュージシャンのようだ。

 今日のランニングは調子があがらない。ようやく前田公園に到着する。イベントの夏祭りが実施されていた。めざす自作農記念碑は、公園の北側の前田中央会館の敷地にあった。

【自作農記念碑】札幌市手稲区前田8条11丁目1-23
 正面には「自作農記念碑」と刻まれており、その横に「北海道帝國大学總長高岡熊雄書」と刻まれ、右側面には「昭和十一年八月建設」と刻まれている。石板台座の右側面には、「前田自作農創設五十年記念協賛 昭和五十九年十月」とされ、45名の氏名が刻まれたものがはめ込まれている。台座の左側面には、「前田開基百年記念 前田農事組合関係者分」と題され、上段から「前田居住年度」、「分家年度」、「出身地」と分類され、その下に「初代」から「五代」までの氏名が刻まれている。その内容は、「明治二十七年」から「昭和四十九年」までにこの地区に居を構えた31名の系図が示されている、その出身地は北陸から東北の各県を中心に、遠くは愛知県や徳島県から入植した。説明板には、「この碑は、昭和6年(1931年)から昭和10年(1935年)に、前田農場で働く小作の人たちが、土地を農場主から買い取り、51人全員が自作農となったことを記念して建てられたものです。最初は新川中央橋近くにあった新川神社のそばに建てられましたが、昭和60年(1985年)8月30日に、現在地に移されました。」

 前田公園ではイベントが行われていた。「前田の遺跡」という説明板があった。

【前田の遺跡】
 明治21年(1888年)9月発刊の「東京人類学会雑誌」に、広い原野の中のやや小高い砂地で、土器、石器(石ぞく、石斧)、丸石を採集したことが紹介されています。これは、現在の前田7条から12条付近にある札幌市埋蔵文化財センターが発掘した遺跡群あたりのことを示していると考えられています。
 これらの遺跡は、すべて紅葉山砂丘と呼ばれる砂丘地帯の南西端にあります。この砂丘は、石狩市美登位(びとい)地区から手稲区前田にかけて海岸線にほぼ平行に続いたもので、当時は海に面しており、遺跡はちょうど波打ち際の渚にあたるところにあったようです。
 この遺跡群からは、縄文時代から擦文時代の土器や石器、それから集落の跡地が発掘されました。

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