有島武郎邸跡

石碑・銅像・胸像(歴史上の人物)

令和6年(2024)12月14日(土) たまゆらの湯(桑園)~北大~北12条駅~北大 9.4km 1時間5分

 所属するランニングサークルの忘年会の前に合同練習。しかし自分は、秀岳荘に用事があるのと、史跡を訪問したいので、途中から単独行動。
 まず最初に北12条駅のところの有島武郎邸跡を訪問。

【有島武郎邸跡】北海道札幌市北区北12条西4丁目
 コンクリート製の台座の上の自然石「有島武郎」の肖像のレリーフがはめ込まれていた。石碑の左側面のブロンズの説明板は、撮影し忘れたので「歴史のあしあと」さんのを借用する。
 「文豪・有島武郎は、大正二年(一九一三年)八月から、安子夫人の療養のために東京に移転する大正三年(一九一四年)十一月までの間、この家に住んだ。この間に三男・行三が生まれ、有島にとっては家庭的に幸福な時期であった。有島没後七十年に当たる本年、自ら設計したといわれる有島の家がこの地にあったことを永く伝えるために、北酒販(株)のご厚志により場所の提供を受けて、有島邸跡を伝える碑を建立するものである。建立 平成五年十月 北区歴史と文化の八十八選保存会 星座の会 北海道酒類販売株式会社 札幌市 制作 彫刻家 坂 担道 碑文・題字の揮毫 北海道大学総長 廣重 力」
 石碑の隣の説明板には次のとおり書かれていた。
「有島武郎邸跡「カインの末裔」、「生まれ出ずる悩み」などの作品で知られる文豪・有島武郎(1978-1923年)は、札幌農学校を卒業後、外国留学を終えて明治41年(1908年)、再び札幌の地を踏み、母校である北大で英語を教えるかたわら本格的な文筆活動を開始した。この家は、大正2年(1913年)8月、札幌永住を決意して新築したもので、大正3年(1914年)11月に妻・安子の病気療養のためこの地を去るまで過ごした。マンサード屋根を持った洋風の家は有島自身の設計といわれ、ここはその家があった場所である。
 後年、この家は、森雅之(有島の長男行光)主演の映画「白痴」(監督黒澤明、昭和26年)のロケにも使用され、現在は、札幌芸術の森に移築・保存されている。
 碑文は、安子夫人の死後、有島がまとめた有島安子遺稿集「松むし」から取った日記の一節である。有島は、あるとき、「細君というものはこんなにいいものならなぜもっと早く貰わなかったと君は思ったかい。」と友人に尋ねられ、「そりゃいい事もあり悪い事もありさ」と答えて笑った。これを聞いていた安子夫人は恥ずかしさと悲しさで泣きたくなり、「細君はなかなかいいものさ。早く結婚したまえ」と夫に言われるような妻になろうと思ったという。」と記されており、説明文の下には、「有島武郎と長男・行光、次男・敏行(大正3年1月13日)」、「安子夫人」と題された2枚の白黒写真が掲げられている。
 

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