会津藩主松平家墓所

古墳・ストーンサークル・墓所

令和7年(2025)7月5日(土) 会津若松駅~鶴ヶ城~松平家墓所~飯森山(白虎隊自刃の地) 約10㎞

 松平家墓所は山の中にあった。雨上がりの登山道みたいなところをランニングシューズで歩くと滑る。ここには二代藩主から、九代容保までとその家族が祀られているそうだ。その時点では分からなかったが、初代の保科正之の墓は、猪苗代市の方にあったのだ。
 各殿様のお墓の前に、亀の上に巨大な石碑の支柱が建てられていて、そこに各殿様の功績などが漢文で刻まれている。此の亀の台座は亀趺坐と呼ばれ、亀の頭はお墓の方を向いているそうだ。これは神式に乗っ取る様式のようである。以下、市のホームページから転載する。

【松平家墓所】福島県会津若松市東山町大字石山字墓山
 院内御廟(いんないごびょう)は、会津藩主であった松平家の墓所のうち、会津若松市東山町大字石山にある墓所で、国の史跡に指定されています。
 江戸時代、この墓所の場所全体が「院内山(いんないやま)」と呼ばれていたため、通称「院内御廟」として敬われ、現在まで親しまれてきました。
 院内御廟には、二代藩主保科正経(ほしなまさつね)公から九代藩主松平容保(まつだいらかたもり)公までの歴代藩主と、その側室や子どもが埋葬されています。
 初代保科正之(ほしなまさゆき)公の墓所は、猪苗代町にある土津(はにつ)神社にあります。
 墓所のはじまりは、初代正之公の子どもである正頼(まさより)が明暦三年(1657)に亡くなり、その埋葬場所として、南向きの山でよい清水が出るためこの場所が選ばれました。その後、二代藩主が葬られ、三代藩主の際も院内山に埋葬されることが決定して、歴代の藩主の埋葬地として歴史を刻むこととなりました。
 墓所の範囲は、15ヘクタールにもおよび、荘厳な景観をつくりだしています。

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