銭洗い弁天・笠間中央公園遺跡

その他遺跡

平成24年(2012)3月20日(火)春分の日 14:30~17:00頃
 鎌倉駅~坂の下~銭洗い弁天~小袋谷~笠間中央公園~家

 今日は、午前中引っ越しのための買い物。晴れてもいるし、午後は少し時間ができたので、鎌倉から家に走ってみることに。鎌倉も見納め。

 坂の下界隈。ドラマ最後から2番目の恋のロケ地はどこなのだろうか

【銭洗い弁天】
 創建のいきさつについては、次のような話が伝えられています。平安時代の終わり頃は世の中が乱れ、そのうえ飢饉が続いて人々の苦しみはひどく、目も当てられない有様でした。源頼朝は人々の命を救おうと日夜神や仏に祈っていましたが、巳の年の1185(文治元)年、巳の月、巳の日の夜に、夢にひとりの老人が現れ、ここから西北の方に一つの谷があり、きれいな泉が岩の間から湧き出ている。今後この水を汲んで絶えず用い、神仏を供養せよ。自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。
と言って姿を消しました。夢からさめた頼朝がすぐ家来をやってその場所を探らせると、確かに、岩の間から綺麗な水が湧き出ているのが見つかりました。頼朝はさっそく石工に命じて穴ぐらを掘らせ、社を建てて宇賀福神をおまつりし、毎日その水を運んで供えたところ、天下は次第に治まり、人々は安楽な日々を送るようになったといいます。その後、第5代執権北条時頼もこの神を敬い、人々に参拝させました。そして「銭をこの水で洗い清めれば福銭となり、一家は栄え、子孫は長く安らかになるであろう」と、自ら持っていた銭を巳の日に洗って祈ると、人々もそれにならって銭を洗い清めるようになりました。いつしか銭洗いの水と呼ばれるようになり、今でもこの水でお金を洗う人が絶えません。

【笠間中央公園】
 思いもかけなかったが、資生堂の工場近くに笠間中央公園という高台の変哲もない公園のようですが、実はここ、遺跡の発掘された場所だそうです。平成11年から12年にかけて発掘調査されたところによると、弥生時代から中世にかけての遺構(竪穴式住居跡53軒・堀立柱建物跡12棟、方形周溝墓4基、道路状遺構4条、鍛冶遺構1基他)や遺物(弥生土器・土師器・須恵器・管玉他)が発見されたそうです。遺構の中心となるのは、弥生時代から平安時代にかけて営まれたムラの跡で、多数の竪穴式住居跡などが調査され、栄区域においては大規模な集落跡の一つだそうです。

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