令和7年(2025)10月5日(日)新得町役場~畜産試験場~共働学舎 約9.5㎞ 1時間40分
畜産試験場内の石碑を訪問後、その近くの資料館を訪問。古い西洋風の建物であるが、入り口の看板は旧名称である「北海道立新得畜産試験場」の看板が張られていた。昔は、北海道立滝川畜産試験場もあったので、地名で区別していたのである。そして、現代の近代的な建物を通るとその向こうに、古いサイロがあった。このサイロは相当古い。説明版を転載させていただく。
【軟石サイロの由来】
このサイロは、当場の前身である真駒内種畜場の牛舎付属サイロの一つとして、場用地内の真駒内穴ノ沢の石山から切りだされた軟石を用い、昭和6年に建設されたが、昭和21年4月に真駒内種畜場が進駐米軍の施設として接収された際、多くの施設とともに解体撤去を命ぜられた。
昭和22年3月、新得町の現在地に種畜場の移転が決定してから、10年近くの歳月を要し移転整備が行われたが、このサイロについては、昭和22年12月、当時の物資不足の時代の中で、解体された第5牛舎サイロの軟石を真駒内から運搬し、新築試験牛舎の付属サイロとして解体前の姿に復元建設された。以来、このサイロは、当場における乳牛の飼養等、各種試験に大きく貢献してきた。
また、このサイロは、真駒内時代に一時破裂したため、鉄帯を巻いて補強されたが、その痕跡を残す軟石がところどころに使われており、それが当時のサイロの姿を留めるとともに、終戦時の新得移転の苦難さを物語っている。
昭和62年2月、試験牛舎が不要になり解体撤去されたが、このサイロは真駒内時代を含め56年もの長い間その使命を果たしてきておける当場の歴史を刻む唯一の施設であるため、ここに記念建物として、保存展示したものである。
サイロの高さ 地上高15m
サイロの直径 内径5.5m
サイロの容積 282立方メートル
使われている軟石 約730個
昭和62年3月 昭和62年3月 北海道立新得畜産試験場






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