平成29年(2017)9月3日(日)11:00発 (約17km 約2時間半) 札幌駅~札幌村神社~苗穂神社~川下公園~平和駅
北海道マラソンから1週間後の本格的練習。今日の目的地は白石区の川下公園。元村街道で大覚寺の山門の説明板を発見(山門の写真はネットから借用)。
【元村街道と大覚寺の山門】
札幌の中心部から元村ー丘珠ー篠路を経て、茨戸に至る元村街道は、もとは鹿の群れなどが通るけもの道であった。幕末に大友亀太郎により開削され、明治以降は札幌本府から石狩に至る唯一の陸路として発展した。明治中期に帝國製麻の工場ができてからは街道沿いに商店街が立ち並びにぎわいを見せた。大覚寺のヤチダモの大木は街道を行く人々の目印となっていたという。境内には大正時代に建てられた道内でも最大級の山門がある。
途中札幌村神社にも初めて訪問。久々に訪れた川下公園は施設が充実していた。
【札幌村神社】
明治32年創立(創立の際、札幌神社と名称を附けむとせるも官幣大社と同称なるを以て許可ならず、村を附せり、とある)。明治33年11月1日創祀、一村の氏神として崇敬する為、村民一同協議の上、明治34年9月出願同年許可される。明治34年石狩国札幌郡札幌村大字札幌村の地主、高木長四郎が、札幌村神社敷地として、畑地2反1畝22歩を寄附。祭神は現北海道神宮(旧官幣大社札幌神社)より、大國魂神、大己貴神、少彦名神の3神を奉斎し札幌村神社と称した。昭和9年4月1日、行政区割変更に依り札幌市に編入。札幌市北14条東14丁目23番地と変更。昭和46年11月札幌市の区画整理事業により、現在地札幌市東区北16条東14丁目40番地に奉遷す。旧社殿は昭和5年9月改増。昭和21年、宗教法人となる。昭和58年4月本務神社となる。(平成8年10月28日札幌市の住居表示制度により、札幌市東区北16条東14丁目3番1号に変更)。平成19年8月新社殿造営す。
【苗穂神社】
明治3年、庚午(かのえうま)の年に入植したので「庚午一の村」と呼ばれ、明治4年5月になって開拓判官岩村通俊によりアイヌ語で小さな沢を意味する「ナイボ」から「苗穂村」と名付けられたこの地は着々と開拓の歩みが進められた。人口が増え、集落が形を確かなものにすると、人々は心の拠り所としての「神」を迎えるべく「やしろ」の設立に力を合わせ、札幌神社より御祭神「少彦名神」の分霊を受けて「苗穂神社」が創建されたのは明治30年8月27日のことである。明治35年には創立時の木製の鳥居を軟石の石鳥居に改築。昭和11年、昭和天皇が北海道に行幸されることになったのを機に翌昭和12年10月16日社殿を改造営する。昭和52年8月25日創建80年を記念して社殿を改造営する。平成8年創建100年を迎え11月5日鎮座百年記念大祭を斎行する。
境内に岩田徳治翁顕彰碑が建っていた。
【岩田徳治翁顕彰碑】・・・裏面には次のとおり刻まれている。「岩田徳治翁は明治二十七年札幌村丘珠に生る。農業に從事し後東区本町に移り大正十一年岩田建設の前身岩田組を創設、一条橋など名橋を架設、橋の岩田と稱された。一方札幌村当時から消防組頭、消防団長北海道消防協会長など四十有余年に亘り自治消防に貢献された。又昭和九年以来村議会議員、同十七年より議長として永らく村の発展に尽力し同三十年札幌市に合併後は市議会議員、道議会議員として長年地方自治に尽瘁せられた。他面スポーツを愛し道及び日本ボブスレー・トボガニング連盟会長として活躍昭和四十七年には道議会札幌オリンピック特別委員長としてオリンピックに寄与された。信仰心も篤く苗穂神社、北海道神社庁氏子及び法国寺、北海道東本願寺会館の総代長、代表なども歴任された。昭和五十二年には郷土の歴史を傳えるべく淨財をもつて札幌村郷土記念館を建設された。この間自治庁長官表彰、札幌市発展貢献賞、昭和三十八年藍綬褒章、同五十三年交通栄誉緑十字金章、同五十七年には正五位勲三等瑞宝章、自民党総裁表彰など数々の顕彰を受けられた。昭和五十七年二月二十日没享年八十九歳 昭和五十七年十月建之 岩田徳治翁顕彰碑建立期成会」
【川下八幡神社】
明治5年3月白石村百番地を社地と定め、札幌神社が円山に移転したあと其の旧社殿を此の所に移築して社殿となし、開拓使岩村通俊が橿原神宮より御分霊を奉戴して白石村守護産土神とし属官高橋渉を別当とし奉祀したことに始まる。
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