イザベラバードフットパス

その他旧街道・旧道

平成27年(2015)5月6日(水) 14.8km 2時間6分

 連休の最終日、新ひだか静内に泊まった後、イザベラバードフットパスを走ってみることに。走るに当たり、以下のサイトが参考になった。
 車を日高町図書館郷土資料館に停めて、河川敷を走る。フットパスの看板が設置してあった。河川敷を終え、舗装道路に出る。この道は、日高西部広域農道というようだ。しばらく軽種馬牧場地帯を走る。特にダーレーの牧場が多いことに驚く。
 農道から紫雲古津大橋を通り、沙流川を渡ると水田とハウスの地帯である。ここから去場、荷菜地区の市街を通り、平取町の本町地区に入る。
  本町に入ってからは、山よりの公園の中を走り、最後のゴールが義経神社。
  義経神社の社伝によれば、義経一行は、むかし蝦夷地白神(現在の福島町)に渡り、西の海岸を北上し、羊蹄山廻って、日高ピラトリ(現在の平取町)のアイヌ集落に落ち着いたとされ、そこで農耕、舟の製作法、機織りなどを教え、アイヌの民から「ハンガンカムイ」(判官の神ほどの意味か)あるいは「ホンカンカムイ」と慕われたという。

 軽種馬の放牧地に始まり、水田、トマトのハウスを経て、最後には、義経伝説を感じる素晴らしいランニングであった。

http://www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp/ss/srk/kanko/izabera.htm へのリンク

http://sakag.web.fc2.com/izabera.htm へのリンク

イザベラバードとは、日高振興局のホームページなどから転載・まとめると次の通り。

(イザベラバードとは)
 イザベラ・バードは、1831年に英国ヨークシアの牧師の長女として生まれました。幼い頃から病弱でしたが、彼女は健康のため転地療養と称して多くの外国旅行を志し、1854年のカナダ・アメリカ旅行に始まり、オーストラリア・ニュージーランド・ハワイ・騎乗によるロッキー山脈越えを敢行。イザベラは因習にとらわれない自由闊達な女性でした。
開港したばかりの日本を、47歳(1878年/明治11年)の時に訪れ、通訳と身の回りの世話係をする日本の青年一人を連れ、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側から北海道に至り、函館、森、室蘭、白老を経て、佐留太から奥地の平取アイヌ部落に向かったとされています。
 彼女が訪れた当時の日本は開港したばかりで日本の奥地を簡単に外国人が自由に旅行できなかった時代でした。ところが彼女はこの国で外国人に知られていうない地方を探索しようと考え、渡日後47歳(1978年、明治11年)に北方の旅行を決心し、通訳兼身の回りの世話係をする日本の青年(伊藤)一人を連れて、東北地方を経て北海道の函館、森町、室蘭、白老をめぐり、佐瑠太(現、富川)から奥地の平取に向かったとされています。

(沙流川流域について)
 当時の沙流川流域は、沙流アイヌの中心地で、河口の富川は松前藩の日高7領の一つサル場所が寛政11年まで置かれ、日高地方西部の和人往来の中心地になっていました。
 流域の開拓は、明治9年仙台藩士が下流の富川、平賀の低地に入植したのが始まりです。大正2年に沙流土巧組合が結成され河岸低地は稲作化が進み、昭和に入ると高台段丘は酪農と馬産が行われました。
 上流域は、蝦夷松、トドマツ、イチイなどの針葉樹が多く、日高でも第一の林業地帯で、明治43年王子製紙苫小牧工場の操業に伴い、林産業が盛んになり、木材の搬出が昭和25年まで続きました。

(イザベラバード 日本奥地紀行抜粋)
 私が佐留太を出発するときは、三頭の馬と案内人である馬上のアイヌ人とともに出た。平取までずっと、道は人のよく往来する道であった。道は佐留太をでるとすぐに森林に入り、最後まで森林のなかを通っていた。森には葦草が豊富に茂り、道を通る馬上の私の帽子よりも高かった。道幅は12インチにすぎず、草ははびこっているので、夜露に濡れた草の葉を、馬は絶えず掻き分けて進む。私も間もなく肩まで濡れた。森林の樹木はほとんどが柏と楡だけである。紫陽花属の蔓草が、白い花を咲かせながら樹木に一面に絡み付いて売る場合が多かった。
 森林は暗くて静かである。この細い道が縫うように中を通っているが、他にも猟師が獲物を求めて通る小道もある。この街道は深い沼地に入っていくこともあり、また、木の根を丸太にしてお粗末にかけて渡るところもある。私の馬が非常にひどい沼地で胸まで沈み、まったく抜け出せなかった。私はその頭を這い上がり、馬の耳を越えてようやく大地に飛び上がった。
 私は、二人の少年に案内してもらい、丸木舟に乗って佐留太川をできるだけ上流に遡ることにした。この川は美しい川で、筆舌に尽くしがたいほど美しい森や山の間をくねくねと曲っている。
 今まで誰一人として、この暗い森に包まれた川の上に舟を浮かべたヨーロッパ人はいない。私はこの数刻をこころゆくまで楽しんだ。あたりは深く静まり返り、淡青の青空が浮かび、柔らかに青いヴエールに包まれて、遠くは霞み鈍化されている。ニューイングランドの晩秋の小春日和のようなすばらしさであった。
(転載終了)

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