小野幌神社・小野幌開基百年之碑・飛鳥山

山登り

平成27年(2015)8月24日(日) 距離不明 3時間

子供のサッカーの試合観戦のため、昨日の続きで新札幌から江別に走る。 
 最初に小野幌神社に寄る。ウイキペディアによると次の通り。
【小野幌神社】
 小野幌神社は明治の時代、小野幌の密林に設けられた小さな祠(ほこら)をその起源としており、また、小野幌の開拓は1889年(明治22年)に山口県から入植した秋本槌五郎一家の開墾により始まる。徐々に開拓者が集まるようになると、1905年(明治38年)9月20日に誉田別命を祀る神社が小野幌24番地の2に建立された。その後、現在の神社の敷地が寄附されたことにより、1934年(昭和9年)11月に移転し、社殿が新築された。1949年(昭和24年)には、大沢神社(下野幌地区)を合祀し、誉田別命とともに倉稲魂尊を祀るようになる。1984年(昭和59年)1月26日、単立の宗教法人小野幌神社として登録。1988年(昭和63年)9月10日には、小野幌開基百年を記念して、現在ある本殿および社務所が新築され、境内には「小野幌開基百年之碑」が置かれた。
 「小野幌開基百年之碑」は、当時の札幌市長であった板垣武四の書(揮毫)によるもので、本殿・社務所と同じく小野幌開基百年を記念して同日、小野幌開基百年記念協賛会により建立された。この石碑の基壇には以下の碑文が記されている。

【小野幌開基百年之碑】
 昔、北の大地小野幌に一人の杣夫入りて、未開の杜に斧ふるいたり。爾来開拓の人々来りて拓き、皆力合わせてみずほの池造り、豊かなる田畑となりぬ。然るにこの地にも都市化の波打ちよせ、諸人語らいて美しき街つくらむとす。今や国中の人こゝに集いて大いなる街となり、開基百年を迎う。この時に当り、先人の遺徳を偲び、古きを尋ねて新しきを知らむと、こゝに、記念碑を建立す。
小野幌の地よ、瑞穂の街たらむことを。

 次に札幌市から江別市に入り、12号線を突き進む。酪農学園大学を横目に江別市内を走ると、飛鳥山公園に。ここには、北海道で4番目に低い山、日本では15番目に低い山の「飛鳥山」がある。
 早速登ると開村記念碑などがある。転載すると次のとおり。
【飛鳥山】(17.5m)
史跡 元江別屯田公有地「飛鳥山」
 野幌丘陵の先端部には、いくつもの古砂丘が形成されている。これらの丘は、古くから町の人々に親しまれて萩が丘(神社山)、坊主山などと呼ばれてきた。
かつてこの丘には江別神社(現萩が丘)の前身であった飛鳥山神社が建立され、その神社祭には草競馬や催し物が行われていた。
大正年間には、公園施設となり、町民の広場として親しまれてきた。
 昭和3年には正式の馬場が設けられ、地方競馬が行われてたが、9年に元江別の方へ移り、戦時中は町民の空襲避難所や家庭菜園に変わった。
 昭和25年からは運動公園として整備が進められ、野球場・陸上競技場・テニスコース・青年センターなどの施設が造られた。
 現在、丘の上には江別屯田兵村開村記念碑や伊東音二郎の歌碑などが建立され、花壇なども整備されて市民の憩いの場となっている。

 その後、川を渡ったところの北電江別グラウンドまで走って移動。

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