中山道(熊谷~深谷間)

中山道

令和6年(2024)4月27日(土) 熊谷宿~深谷宿(10.8km)
当日の総走行距離 23.9km 6時間3分(熊谷宿~深谷宿~本庄宿)

 熊谷宿をあとにし、現国道から旧道に入ると新島の一里塚があった。

【熊谷市新島の一里塚】(概要)
 ここには樹齢300年、高さ12mのケヤキの大木が残っていた。当時は街道の両側に五間四方の塚を築いたが、西側の石原には残っていない。宝暦6年の道中絵図にも描かれている。

 しばらく歩くと彦多利神社があった。石碑に由来が描かれているが、ネットで調べる同盟の神社とは違う陽だ。

【摩多利神のいわれ】(概要)
 昔流行病が植木の村にも流行った。村を通りかかったお坊さんが、「この村には吃意摩多利という神様がいるので大丈夫ですよ」と言って立ち去り、村は助かった。そののち、建立者不明であるが摩多利神という石碑が刻まれ守護神として祀られている。

 熊谷市石原地区のところには「忍領石標」があった。
【忍領石標】
 「従是南忍領」と彫られている。安永九年(1790)に木材から石で建て直された。

 その後、住宅地内の旧街道を歩くと様々な石碑がある。とても多すぎてレポートしきれない。

【明治天皇御小休所趾】

【霊場開基盛心行者百年祭記念碑】
 この行者は、信州小県郡武士村の人橋詰重兵衛だったようだ。

【水村五十周年】
 上記のとおり刻まれ、熊谷市長木村一郎とも刻まれている。

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