中山道8熊谷宿

中山道

令和6年(2024)4月27日(土) 熊谷宿~深谷宿(10.8km)
当日の総走行距離 23.9km 6時間3分(熊谷宿~深谷宿~本庄宿)

 令和元年に中山道を深谷まで歩いてきた以来の中山道である。前日は都内の電車が大混乱で、宿がある深谷市に深夜0時過ぎに着き少し眠いが、朝方の雨も止み、9時少し前にスタート。スタートをしてすぐに説明板があった。

【中山道と熊谷宿】(概要のみ)
 中山道は古く東山街道と呼ばれ、慶長6年江戸幕府により宿駅・伝馬制度が整備された五街道のうちのひとつで532km。熊谷宿は69宿のうちで8番目のやど。溪齋英泉の「熊谷宿八丁提景」では、寛文年間の様子が描かれ、東西992m、戸数937戸、人口3276人。本陣は当初3軒から、安永年間から名家の竹井家が努めていた。畳数103畳を誇った建物は昭和20年の震災で焼失。熊谷宿は六斎市や愛宕神社の熊谷八坂大祭で有名。

【札の辻跡】(概要)
 高札の設置場所。高札とは、掟・条目・禁令などを掲示したところ。現在の大露路通と行動17号が交差するところにあった。高さ1尺1寸、横6尺4寸であった。

【本陣跡】(概要)
 会堂の南、本町1丁目の西端に位置していたのが、竹井本陣であった。敷地1600坪、建坪700坪、47部屋を有し、国内屈指の規模であった。終戦前夜の空襲で焼失。本陣に死に残っている別邸だった市指定名勝「星溪園」は当時の面影を今に伝えている。

 熊谷市の老舗デパート八木橋百貨店のところにも中山道の石碑があり、石の説明板があった(説明は同様なので省略)。

 

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