北大:新渡戸稲造碑

胸像・銅像

平成26年(2014)11月1日(土) 14.4km 1時間59分 

 今日の午前中の家の用事を済ませ、午後時間ができたので久々に市内をランニング。北大の銀杏並木を見ていなかったので、北大方面に走ることに。北大農場では羊が放牧されている。北大病院の前にある銀杏並木は観光客ですごい人。赤い紅葉の下ではマンドリンの演奏。銀杏の紅葉も後半で、葉っぱが少ない。観光客でごった返す銀杏並木を尻目に、ポプラ並木へ向かう。ここには、新渡戸稲造の石碑がある。石碑の表には「I wish to be a bridge across the pacific」(われ、太平洋のかけ橋とならん)と書いてあり、裏には詳しく経歴が書いてある。
なかなか良い文章だったので転載します。

(以下、転載)

 第二次世界大戦前の日本を代表する国際人・教育者であり、五千円札の肖像としても知られる新渡戸稲造博士(1862~1933)は、明治14年二期生として札幌農学校を卒業した。博士にとって札幌はキリスト教に基礎を置く人格と、広い学識を身に着けた「精神的誕生地」である。卒業後の一時期、開拓使御用掛に籍を置き、黎明期の北海道開拓に力を尽くしたが、学問への情熱経ち難く、明治16年東京大学に再入学した。さらにアメリカ、ドイツに留学し、米国人の妻・メリー夫人を伴って帰国した博士は明治24年から7年間、母校の札幌農学校教授として、当時閉校の危機にあった農学校の立て直しと学制改革に尽力し、のちの北海道大学の基礎を築いた。勤労青少年のための教育施設である遠友夜学校の創設(明治27年)も、農学校教授時代の貴重な遺産である。その後、博士は京都帝国大学教授、第一高等学校校長、東京帝国大学教授、東京女子大学教授などを歴任し、人格、社会性、教養を重視した教育によって戦前・戦後の教育界に多大な影響を与えた。さらに名著「武士道」による日本の精神文化の紹介、国際連盟事務次長として平和文化活動は、博士の名声を国際的に高めることになった。
 この顕彰碑は、北海道大学が札幌農学校創立から数えて120年を迎えるのを記念し、卒業生を中心とした数千人の篤志家の浄財によって建立された。碑文の一句は、博士の英文著作から引用した「太平洋の橋にならん」とした、若き日の理想を語ったものであり、サインは直筆である。 1996年10月7日 新渡戸稲造顕彰碑建立事業会 発起人代表 堂垣内尚弘 碑文揮毫 丹保憲仁  彫刻制作 山本正道

(転載終了)

 北大にも史跡が結構ある。北大校内を北上し札幌北高校の北側のエルム公園を訪問。こちらの方が最盛期で素晴らしい黄色だった。

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