岩見沢~栗沢~栗山マラニック

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)4月14日(日) 岩見沢駅~志文~栗沢~栗丘~栗山温泉 21.3km 2時間45分

 栗山で開催される老舗祭に走って参加するため、岩見沢から走って栗山に向かう。栗沢の史跡のレポートは別途。栗山では、栗山温泉に入浴後、名取屋でホルモン鍋を食べ老舗祭に参加。

【耕成神社】岩見沢市志文
 石の柱に「明治二十七年四月鎮座 昭和十六年四月 寄進人 林喜一郎」と刻まれていた。

【泣く木跡】北海道夕張郡栗山町桜丘3丁目
 栗山の市街に入る前に、泣く木跡碑を見つけた。以前もここは訪問したが、石碑のみだったが、小さな祠が設置され、花やお酒が設置されている。ネットによると以下のとおり。
 現在の栗山町の歴史は、明治21年(1888年)に仙台藩士であった泉麟太朗によって入植をおこなわれたのを初めとする。その翌々年から、この地では幹線道路や鉄道路の開発がおこなわれた。これには市来知集治監の政治犯が多数駆り出され、寒さと飢えの中を酷使された。そのため多くの囚人が亡くなり、その遺体は掘削工事の進むトンネルのそばにある巨木の下に埋められたという。この巨木が伝説の“泣く木”である。
 “泣く木”はハルニレの木で、樹齢は約300年ほどのものとされた。その不気味な名が流布しだしたのは昭和7年(1932年)である。室蘭本線の栗山トンネルに沿ってあった道路を拡張する工事が始められた頃、道路を直線にしようとすると邪魔になる木があった。ハルニレの巨木である。そこで伐採してしまおうとすると、その木がキューキューと音を立てる。それがまるで人が泣く声のように聞こえたために、噂が広まった。しかもこの巨木を鋸で挽こうとしてもなかなか伐れない。そのうち鋸が折れて大怪我をする者が出てきて、さらに引き抜こうと馬車を使ったところロープが切れて馬が即死、作業員も大怪我をする事故まで起きた。結局、この部分だけは道路を迂回して拡張せざるを得なくなったのである。

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