帯広市川西地区

産業遺産

令和6年(2024)2月10日(土) 帯広市川西支所前~愛国地区~愛国神社往復 9.4km 1時間25分

 寒いが帯広市川西支所に車を停めて、愛国を往復して、史跡単作ランニング。JA川西は立派だ。川西地区にも史跡があふれている。

【旧農家住宅川原邸】
 特段の説明板等はない。

【旧川西村役場と赤レンガ造り書庫】
 この周辺は、旧川西村役場庁舎があった敷地でした。大正13年2月1日に大正村分村して川西村が誕生、地域の方から寄付された敷地に同年8月31日村役場庁舎が落成されました。
 以降、村の行政・産業・教育・文化の中心となり経済恐慌、戦中・戦後の混乱、幾度にもわたる冷害・凶作など、激動の時代を経て、昭和32年4月、帯広市と合併、33年2カ月余りの歴史に幕を閉じました。
 敷地内に現存する赤レンガ造りの建物は、昭和12年に旧川西村役場の防火書庫として建造、板谷楓の木と併せて川西地域のシンボルとして、当時から親しまれてきた貴重な遺産です。

【星霜五十年豊穣の里】
 正面には標題のとおり刻まれ、右下に「上帯広町 平山寛書」と刻まれている。裏面には、次のとおり刻まれていた(モニュメントのデザイン説明は割愛)。「川西地区の沿革概要 明治二十八年 川西の開基者中村善右衛門ら売買村(旧川西村)に来住 明治三十年 岐阜団体(坂内村の移住者)が売買村(現稲田町・下川西)に入地 明治三十一年 三重県伊勢団体が上売買原野(現富士町)に岐阜県別府団体が上帯広村(現別府町)に移住 大正四年 売買村 上帯広村 幸震村の三村を合併 大正村となる 大正十三年 売買村の大部分 上帯広村を大正村より分離 川西村として開村 川西村役場落成 昭和三十二年 川西村・大正村・帯広市合併 昭和三十八年 字名改正により大字川西町・大正町を廃止 平成十九年合併五十周年

 豊穣の里  明治二十八年先人達が惜別の念と開拓の大志を抱き この日高山麓川西地区原野に開拓の鍬を入れてから幾星霜の歳月を経て更に川西村が帯広市と合併して本年で五十年の節目を迎えました 幾多の困難や苦境を乗り越え 今や日本の食糧基地としての地位を確立し川西地区そして十勝を豊饒の大地 農業王国にまで発展した礎を築いてくださった先人・古老の方々の労苦を偲び 遺徳に感謝し 今後更なる安心・安全の食糧産地として 国内はもとより世界各国から認知され 発展を続けることを祈念して帯広市との合併五十周年記念の碑を旧川西村役場の所在地に出会ったこの地に建立します 本建立にあたり多大なご支援・ご協力を賜りました帯広市・十勝農業共済組合様にたし深く感謝を申し上げます 平成十九年十月三十一日 川西地区合併五十周年記念事業実行委員会

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