清華邸・井頭龍神

産業遺産

平成28年(2016)1月1日(祝金)10㎞ 1時間18分

 独身以来の約25年ぶりの札幌での年越し。年越しのアルコールをデトックスするためと元旦も美味しいお酒を飲むため、初詣兼札幌歴史の旅にランニングで向かう。
 今日の目的地は、ブラタモリ札幌編でやっていた北大の南側、大原簿記専門学校の北側にある偕楽園跡である。ここには、昔湧水の池があったそうである。この辺には、豊平川扇状地の湧水が湧き出る地、アイヌ語で「メム」が多いそうだが、北大植物園や道庁の池、伊藤邸にも一部残っており、明治時代に、開拓者たちは、湧水があったこの地を札幌の中心部と定め、ここから開拓を始めたとブラタモリでやっていた。
 今日の目的地は、偕楽園に会った池の痕跡と、そこに鎮座している龍神様に初詣することである。

 家から北24条宮の森通りを東上し、北大構内を南下して、目的地に近づくと、住宅地の間に河川用地なるものを見つけた。この川跡は恐らく、植物園・伊藤邸から、北大のサクシュコトニ川につながる川であったのだろう。

 そして、清華邸に到着。説明書を読むと、1880年の明治天皇の北海道行幸の際の休憩所として和洋折衷の美しいものであったそうである。
 その南側の偕楽園は、明治4年に札幌最初の公園として開設され、ドイツ系アメリカ人、ルイス・ペーマーが園芸の指導に当たるなど、園内には数百種類の植物が栽培され、農業試験場でもあった。その後規模を拡張して育種場として改められ、博物場、温室、工業試験場などが敷設。園一帯には清冽な湧水がほとばしり、それらを水源とするサクシュコトニ川が流れており、この川には鮭、鱒も遡りふ化場もあったという。
 しかし、開拓使が終わる明治15年に各施設が移転し、偕楽園はその機能を失い、自然の杜へ帰っていき、清華邸も民間人の手にわたってしまったという。
 その後、昭和36年に札幌市有形文化財に指定され、現在の公園になったという。

 ブラタモリでやっていたのだが、ここに龍神様があったそうだが、探すと公園の一角にひっそりとあった。「井頭龍神」と石碑にあるが、インターネットで調べると北区の歴史のページにあったので、転載する。

(転載はじめ)
 偕楽園緑地の一角には「井頭(いのがみ)龍神」という社が建っている。当時の偕楽園内にもメムがあり、明治天皇が北海道行幸の際に手を洗われたことから、「御膳水」として呼ばれていた。そして、いつしか近隣住民の間に水神信仰が生まれたことに、その社の起源をたどることができる。
そしてこの水神信仰は特に水商売の女性の間に浸透していった。「いく代」という名前を覚えているだろうか。昭和後期まで「夜の赤レンガ」との異名をとった道内一の料亭である。ここの初代女将斉藤いくは一時期、サクシュコトニ川のほとりに店を構えたことがあり、同業の女性らと共に熱心にお参りを続け、この水を「神水」として得意先に配ったりしたという。また、奇特な人たちがいく代やそのほかの水商売の人たちに呼び掛けて昭和25(1950)年ごろには御膳水の近くに小さいながらもお宮を建てた。ささやかではあるが祭礼も執り行なわれるようになった。こうして草の根から生まれた水神信仰は「龍神さん」という具象を得て、今日に伝えられていった。
(転載終了)

 そして、石川啄木の歌碑をみつける「アカシアの街?(なみき)にポプラの秋の風 吹くがかなしと日記に残れり」。
 石川啄木と札幌の関わりは知らなかったが、明治40年9月14日から2週間ほど滞在し、札幌の深まりゆく秋を情感豊かに歌い上げた詩だという。

 寒空の中を、誰もいない龍神様にお参りし、いつもの通勤ルートを走って家に帰る。

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