志村鉄一碑・吉田茂八碑・徳米山三十三観世音菩薩霊場

石碑等(開拓記念碑)

平成28年(2016)1月11日(祝月) 12.8km 2時間2分

 寒さが厳しいが、澄川方面まで走りに行く。ススキノまではいつも見慣れた通りを走るが、豊平橋を渡る。そうすると、札幌の開祖「吉田茂八」碑に立ち止まる。ここは何回も通っているが、昨年末のブラタモリで、江戸時代の札幌は、豊平川を挟んでここの吉田氏と対岸の志村氏しかいなかったと聞いて、今日改めて確認しに来たのだ。

【石版の裏から転載初め】
 吉田茂は地は南部に生まれ安政2年亀谷?太郎に従い、渡道し同4年石狩調役荒井金助の命により、豊平川右岸の渡守志村鉄一の話し相手として左岸の渡守となり札幌開拓に寄与した先住者である。性格温厚にして豪胆、狩猟を得意とし後年創成川の南3条より南6条に至る間の堀割工事を請け負う。これを吉田堀ともいう。地域住民吉田翁の功績を讃え後世に伝えるべく、この碑を建立する。
 昭和56年7月21日   吉田茂八碑顕彰保存会
【転載終了】

 豊平川を渡り、ルネッサンスホテルの手前を右折すると、今度は志村鉄一の碑だ。
これも、石碑の説明版を転載する。

【転載はじめ】
 札幌開祖 志村鉄一碑 由来の記
 氏は信州の剣客にして石狩調役荒井金助氏の招きに応じ安政4年(1857年)に移住して藩命を受けて豊平川渡守となり駅逓を兼ねる
 この地より約120米川下が氏の住宅の遺跡たり
 この碑は大正9年当時の札幌神社禰宜野村茂氏がその場所に建立したるものであるが、新豊平橋の完成に伴い昭和42年7月に橋台小公園に市が移転安置せるものである
 尚この碑の筆跡は当時の北海道帝国大学総長佐藤昌介氏の揮毫せるものである
 昭和42年8月 札幌開祖志村鉄一碑検証保存会
【転載終了】

 ルネッサンスホテルの裏を走ると、古いお寺が見えてきた真言宗弘周寺である。ネットでも由来がよくわからないが、境内に三十三観音が祀られている。説明版から転写。

【転載はじめ】
 徳米山三十三観世音菩薩 霊場の由来
 昭和元年 遠田徳次郎氏、柴田米吉氏、遠田善六氏等が発起人となって、昭和7年にある湯殿山の分山を開山しました。
 徳米山とは徳次郎の徳、米吉の米をとって命名したものです。はじめに馬頭観音を建立、三十三番は信者の一体ずつ寄付によって建立したものです。それに遠田善六氏が大日如来を建立しました。   平成9年10月8日 当寺に移転。
【転載終了】
 
 そしてその道から南下。走る道は中の島通りと平岸通りの間の一方通行路。車だと逆走だが、人間だから問題ない。そこから、木の花団地を抜けて、平岸を通り、澄川から地下鉄に乗って帰りました。

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