チョマト―公園周辺の史跡

戦跡・古戦場

和6年(2024)5月12日(日) 帯広市大型量販店駐車場~帯広の森~三の沢1遺跡~帯広の森百年の礎~涓涓洞・宮崎濁卑の碑~神理教北門神社・チョマト―公園

 最後にチョマト―公園まで走ってみる。結構遠いがなんとか辿り着いた。しかし、公園の向かいに神理教北門神社なる神社がある。社殿は家みたいだが、お参りする。訪問忘れたが、ここはチョマト―神社と呼ばれていたらしい。

【北門神社】(ネットより)
 北門神社の創建は、明治32年(1899年)です。帯広市西15条北2丁目に鎮座する神理教の神社です。神理教は、明治22年(1889年)に佐野経彦によって開かれた神道系の新宗教です。北門神社は、神理教の総本山である神理教大本殿の分社として創建されました。

 北門神社の向かいがチョマト―公園で説明板に数多くの説明があった(キーワードのみ転載)。

【チョマト―】
 昔は三月湖であったが、次第に小さくなり2004年の道路直線化で埋立。アイヌ語で「恐ろしい沼、害を受ける沼」とされ、十勝アイヌと日高、北見のアイヌとの戦いの伝説の地とされている。1936年に帯広史蹟保存会がチョマト―古戦場の標柱を建立した。玄武通の直線化に伴い、2004年に現在の慰霊碑が建設。

【伏古コタン】
 アイヌの人々は河川沿いに住んでいた。しかし開拓で天然資源の利用や同化政策で伝統的な政策が維持できなくなった。このため、勧農事業が進められ、十勝には12カ所の保護コタンが設置され伏古コタンも造られた。1899北海道旧土人保護法により同化政策がすすめられるなかで、アイヌ民族の地位向上や伝統的な文化を伝承する活動が展開されている。伏古コタン墓地は1935頃まで使われていた。

【北海道庁立第二伏古尋常小学校】
 (省略)

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