鹿追町・音更町上然別の石碑

石碑等(開拓記念碑)

令和6年(2024)3月16日(土) 音更町上然別地区

 鹿追町から音更町に向かうため、道道133号線を走ると各所に石碑があった。調べると上然別は、鹿追町にも音更町にもあるようだ。その後、誉地区等にも石碑があったが、取材は今度にする。

【開拓之碑】
 上記のとおり刻まれ、「鹿追町長佐渡一男」と刻まれている。裏面には次のとおり刻まれていた。「碑文 明治41年3月に岐阜県の人長屋藤兵エ氏が現在地に入地して以来七十五星霜、樹木が生い茂る未開の地に、先人の英知と汗と力により、鋤鍬をたよりにこの地を開拓した。(以下略)昭和五十七年九月吉日 上然別連合会一同」

【豊穣の郷】
 上記のとおり刻まれ、裏面には次のとおり刻まれていた。「碑文 当地は明治43年棚橋茂三郎氏によって開拓の鍬がおろされ以来七十有余年、先人の筆舌に尽くせえぬ辛苦を不屈の精神と協同の力によって克服し、ここに豊穣の郷が築かれた。(略)
昭和五十六年六月十四日 上然別部落開拓七十周年記念」

【上然別開拓百年之碑】
 上記のとおり刻まれ、「音更町長山口武敏」と刻まれている。裏面には何も刻まれていない。

【この地に生きて 上然別開基80年】
 上記のとおり刻まれ、裏面には次のとおり刻まれていた。「開拓の由来 当地の開拓は明治三十三年三月山形県の人村山和十郎氏が然別川沿いに農場を興したことに始まる 以来八十星霜筆舌に尽せぬ大自然の試練に挑んだ先人の英知と汗と力はここに人情地味豊かな理想の里を作り上げた(以下、略)昭和五十三年三月五日 上然別開基八十年協賛会」

【中川次吉翁頌徳碑】
 上記のとおり刻まれ、「農林水産政務次官 本名武謹書」と刻まれている。裏面にもたくさん文字が刻まれていたが、逆光で文字が読めなかった。

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