中山道(12倉賀野宿)

中山道

令和6年(2024)4月28日(日) 倉賀野宿
当日の総走行距離 19.9km 5時間20分

 柳瀬橋を渡ると倉賀野宿である。ここは、中山道と日光例幣使道の分岐点だそうだ。例幣使街道の常夜灯及び道しるべがあったが、道しるべは確認できなかった。

【例幣使街道の常夜灯及び道しるべ】(HPより転載)
 例幣使街道とは日光東照宮の旧暦4月14日の大祭に、幣帛(へいはく:神様にささげるもの)を供するため、京都から派遣(はけん)された勅使(ちょくし)が通るための街道のことです。中山道と例幣使街道は、倉賀野宿の東で分かれています。この分岐点(ぶんきてん)に石造りの「道しるべ」と「常夜灯(じょうやとう)」がが建てられています。道しるべは高さ1.64メートルで、西面には「従是右江戸道 左日光道」、東面には「南無阿弥陀仏 亀涌水書」とあります。 常夜灯は高さ3.73メートルメートルで、正面(西面)には「日光道」、南面に「中山道」、北面に「常夜燈」、東面に「文化十一年(1814)甲戌正月十四日 高橋佳年女書」と刻まれています。また、基台には312名の寄進者の名が刻まれ、その中には江戸時代の有名力士、雷電為右衛門(らいでんためえもん)の名も見られます。

【中山道 倉賀野宿】説明板
 中山道『倉賀野宿』は江戸より、十二番目の宿場でここから徳川家康を祀る日光東照宮の春の大祭に京都の朝廷が弊帛(へいはく)を奉納する為に派遣した例幣使が通る『日光例幣使道』が始まる。
宿の南には利根川水系最上流の倉賀野河岸があり、上信越の諸大名の廻米、商人の荷物などが河岸から船積みされて江戸へと運ばれ、倉賀野宿は上信越と江戸を結ぶ水陸の交通の要所として栄えた重要な宿場であった。
倉賀野宿には、 京方向に上の木戸、江戸方向に下の木戸が設けられ、宿内の長さ(木戸から木戸の間)は九町十六間(約千メートル)、道幅は四間(約七メートル)から六間(約十一メートル)であった。天保末年(一八六三)の中山道大概帳によると、倉賀野宿には、本陣一軒、脇本陣二軒、旅籠が三十二軒あり、人口は二千三十二人であった。

 太鼓橋というショボい端を渡り、古い家が脇本陣であった。

【高札場・上町問屋場】

【安楽寺・鼠供養塔・倉賀野八景奉納額・板碑・安楽寺古墳】
 本陣近くの安楽寺には史跡が満載である。ここの由緒はわからないが、おそらく境内の裏の古墳は七世紀末に築造された円墳で、径20m、高さ3メートルあり、鎌倉時代政策と推定される仏像が七体あり、安楽寺の本尊となっているそうだ。全国的にも珍しい鼠供養塔は、寛政辛亥初夏 須賀荘兵衛吉と刻まれているそうだ。拝殿左の掲額や二基の板碑もあり、あまりに豊富すぎてレポートしきれない。

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