札幌市中央区盤渓峠「御休跡碑」

旅ラン

令和4年(2022)5月3日(火祝)

札幌市中央区盤渓峠「御休跡碑」
家~三角山登山口~盤渓峠~家 9.7km 約1時間20分
 
 ゴールデンウイーク初日は、郊外や地方はとても車が混むので、どこにも出かけないで、札幌に居て、衣替えなど家事をすることにする。夕方から美味しいお酒を飲むために近場をランニング。当初は三角山の熊の巣穴を探索に行こうと思ったが、登山口で立ち入り禁止の表示。
 三角山登山はあきらめて、盤渓峠の頂上にあった石碑を訪問してみることにする。三角山登山口から宮の森の住宅街、大倉山ジャンプ台を通って、盤渓峠へ。盤渓峠の登りはさすがに走れず、早歩きで登り、盤渓峠の頂上に到着。急な階段が見えた。ここは冬は雪で登れず、真夏は草が生い茂り訪問が困難であり、今の季節は訪問するのにちょうどよい。
 以下、「歴史のあしあと 札幌の碑」さんから転載させていただく。https://rekishinoashiato-west.amebaownd.com/posts/7708290?categoryIds=2721930 へのリンク

 この階段は途中で踊り場が2箇所ある50段ほどの階段になっている。登っていくと開かれた敷地があり、その一角に大きな石碑が建てられていた。平たい石を積み重ねた台座の上に、硬石と思われる棹石が置かれたこの石碑は「御休跡碑」です。碑面には大きく「御休跡碑」と刻まれており、その脇に「琴似村長 正八位勲五等 淸水凉 謹書」と添えられています。
 碑の背面には、 「昭和三年二月二十三日秩父宮殿下御來道ノ砌スキー御登行ノ御途次本地ニ御休憩アラセラレ部落民一同拝姿ノ光榮ニ浴シタルヲ記念シ紀元二千六百年記念事業トシテ之ヲ建設ス 札幌郡琴似村 石谷動水 刻」 と刻まれています。石谷動水は琴似村に居住していた石工と思われ、西区役所の前庭に並べられた石碑の一つである「陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾」碑の背面にもその名が残されています。
 台座の正面には「八紘一宇」と浮彫りがされた石板がはめ込まれています。「八紘一宇」とは日本書紀の記述にある「天下・全世界を一つの家にすること」の意味で、この碑が建てられた昭和15年に第二次近衛内閣が政治スローガンとして掲げた言葉です。  
 台座の右側面には「賛同者 順予不同」と題された石板がはめ込まれており、そこには役職に続いて氏名が刻まれています。役職だけを列挙していくと、「敷地寄附者」、「札幌營林区署長」、「琴似村ゝ會議員」、「同在郷軍人分會長」、「同警防團長」、「同學務委員」、「建設委員」、「盤ノ澤区長」、「小別澤区長」と並び、次に「發起人」として「盤渓小學校長」、「同保護者會長」と続いています。
 台座の背面には、上下を「盤ノ澤」と「小別澤」に分けて氏名が多数刻まれ、その末尾に「在郷軍人第八班」、「愛国國防聯合婦人會」、「盤渓青年分團」、「仝女子青年團」、「盤渓〇〇小學校在校児童」、「盤渓青年學校在校生徒」と続いています。
 台座の左側面には、「奉迎者氏名」として「職員」と「児童」、「部落民」に分けて多数の氏名が刻まれています。
 秩父宮は、大正天皇の第二皇子で、スキーやラグビーの振興に尽力されました。この石碑に刻まれた昭和3年に御来道された際に、五輪開催を見据えて大型スキージャンプ台や国際級の洋式ホテルの建設を提案され、それらは大倉山ジャンプ競技場の建設や札幌グランドホテルの開業として実現しました。

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