上浦幌駅逓所跡

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令和5年(2023)12月24日(日) 浦幌町上浦幌(活平バス停)

 本別から豊頃町大津に向かう際、上浦幌を通る。活平バス停前に上浦幌駅逓所跡の説明板があった。以下、要点を転載。近くに活平小学校跡があった。平成10年3月に閉校。

【上浦幌駅逓所跡】・・・明治41年北海道告示第44号により設置されたが、駅逓の業務は明治39年9月14日から既に開始。初代取扱人は、守屋晋であったが、明治41年からは朝日浅吉が担当。本駅逓所は、中浦幌(留真)から2里28町2間(約10.9km)、本別駅逓まで3里32町(約15km)に設置、大正年間には富山の薬売、流走人夫、役人などが多数宿泊、奥地開拓の最前線基地として、浦幌本別間の交通の要所であった。駅逓所は寛政11年、江戸幕府が東蝦夷地直轄の際、通行屋と称し運搬、駅馬の用をさせたのが始め、明治28年制度が完成。この制度は半官半民の請負制度で、旅行者の宿泊、人場(「馬」の間違い?)継立を行い、明治末期には238駅、備馬2835頭を記録。その後昭和21年に全廃。上浦幌町駅逓所は、昭和6年に25年の歴史に幕を降ろした。

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